
平氏vs源氏の相関図を作成しました。
「鎌倉殿の13人」「義経」「平清盛」など大河ドラマでも取り上げられる題材です。アニメの「平家物語」もとても良かったですね。平家は他人に厳しく身内は仲良し、源氏は身内内で殺しあいをしているイメージです。
■目次
■人物紹介
<平家>
平清盛
平安末期に平氏全盛期を築いた。1167年に武士として初めて太政大臣になり、娘の徳子を高倉天皇の后にし、その他の一族も高位高官につけた。大仏を燃やしたりしたため、祟られて高熱で死んだと言われている。
平時子
清盛の継室(結婚前から親戚の平さん)壇之浦の戦いで敗れ、孫の安徳天皇と共に入水した。平家滅亡の原因である若き日の頼朝助名懇願をしたのはこの人ではなく、清盛の継母。
平滋子
時子の姉妹。平家一族から後白河法皇の后の一人になった。
平重盛
清盛の嫡男。優秀で期待されていたが、病気で早めに亡くなってしまった
平知盛
清盛の四男。源平争乱での平氏を代表する人物。優秀な兄・重盛が亡くなった後、後継となったのは次兄宗盛であったが、実質平氏の代表は弟の知盛であったよう(宗盛・・・)武に優れていたものの、源氏に追い詰められて壇之浦で安徳天皇の入水を見届けると、「見るべき程のことは見つ」と言い残し、鎧二領を重ねて重りにし、最後を遂げたのが有名
平徳子
清盛の娘。高倉天皇の皇后となり、安徳天皇を産む。壇之浦で安徳天皇と共に入水したが、源氏軍に引き上げられ、生き残ってしまう。その後京へ送還されて、出家した。かわいそう。
平維盛
重盛の嫡男(清盛の孫)光源氏の再来とも称されるほどのイケメン。富士川の戦いで源氏軍にビビって逃亡するなどなど壊滅的な大敗をする。平家衰退の際、捕らえられる前に出家したが、その後入水自殺した。
平資盛
重盛の二男。摂政藤原基房との諍いを起こした
平清経
重盛の三男。横笛の名手。
<天皇家>
後白河法皇
鳥羽天皇の子、天皇即位後というより退位後に院政で大活躍。王朝権力強化のため源氏と平氏の争いを陰で操っていた策士。
崇徳上皇
後白河法皇の兄で鳥羽天皇の子…のはずだが、鳥羽天皇は祖父・白河法皇と自身の妻の不義の子と思っていたため嫌っていた説がある。曽祖父・白河法皇の生存中は崇徳天皇も守られていたが、白河法皇崩御によって実権が鳥羽上皇のものになると、権力の座を奪われてしまった。鳥羽法皇崩御後、保元の乱(後白河vs崇徳)で敗れ、壱岐に流されてしまう。写経を行い都に送ったが無視されたので、崇徳上皇は怨霊化した。
高倉天皇
安徳天皇
高倉天皇と平徳子の子、後白河法皇の孫であり、清盛の孫。結果的に清盛に振り回される形で3歳にして即位するも歴代天皇の中で最も若くして8歳で崩御。また歴代天皇の中で唯一戦いによって命を落とした。壇ノ浦で沈められたかわいそうな幼帝。
後鳥羽上皇
安徳天皇の異母弟、後白河法皇の孫。安徳天皇在位中に祖父の後白河法皇が平氏に対抗して後鳥羽天皇を4歳で即位させた。通常天皇は家宝である三種の神器と一緒に即位するものだが、神器は平氏に持ち去られていたので、(その後安徳天皇と一緒に沈んだ)神器なしで即位したのが後々までのコンプレックスとなる。鎌倉時代に入ると北条氏がうざくなってきたので、承久の乱を起こすが、武士は味方になってくれなかったので敗戦。負けても天皇なので殺されなかったが、隠岐島に島流しとなった。
<源家>
源義朝
没落源氏になってしまった父・源為義により関東へ送られたが、相模一帯に基盤を固めて多くの坂東武士を配下に置く。都に返り咲き鳥羽上皇の配下となる。1156年保元の乱(後白河VS崇徳)で父・為義とも敵対し、勝者側であった義朝は自ら父を斬首した。(※源氏名物:身内で殺しあい)その後仲間であった平氏の方が優遇されたことなども起因して1159年に平治の乱が起きるが、平清盛に敗れて殺された。
由良御前
源義朝の正室、頼朝の母。家柄が良かったので、コネで夫を鳥羽上皇の北面の武士に就けた。
常盤御前
源義朝の側室、義経・阿野全成、義円の母。絶世の美女だが家柄は悪い。義朝の愛妾になるが、義朝敗戦により清盛に捉えられる。しかし美人だったので清盛にも愛妾にされた。
源義賢
源義朝の異母弟、木曽義仲の父。兄・義朝とは対立(長子相続でなかったので争いが多かったらしい)義朝は長男・義平に叔父殺しを命じ、義賢は命を落とした(※源氏名物:身内で殺しあい)
源頼朝
源義朝と由良御前の子、長男ではなかったが母親の家柄が良かったので後継だったが、父が平治の乱に敗れて、自らも捉えられるが、若かったので、清盛の継母の助命懇願により関東へ流罪人となる。流罪地でも女癖が悪く北条政子と駆け落ち未遂婚をすることによって、北条氏を後ろ盾に挙兵、弟たちを利用し平家を滅亡させ、鎌倉幕府の初代将軍となるも、用済みの弟たちは粛清した(※源氏名物:身内で殺しあい)武士の棟梁なのに落馬して死んだが、実は暗殺されたのか、呪殺されたのかもしれない。
源義経
源義朝と常盤御前の子、頼朝の異母弟。平治の乱で父が敗死したことで鞍馬寺に預けられるが、平泉の藤原秀衡の庇護を受ける。頼朝挙兵の知らせを受けて参戦し、実質的に壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした最大の功労者。後白河法皇と兄頼朝の間に挟まれたことが原因となり、頼朝に疎まれて追討された(※源氏名物:身内で殺しあい)
木曽義仲
源義賢の次男、頼朝・義経の従兄弟。「※源氏名物:身内で殺しあい」によって幼い頃に父が殺されたので、信濃国に逃れて育つ。以仁王の令旨を受けて、頼朝よりも先に挙兵し朝日将軍を自称する。後白河法皇の元で大活躍をするが、その後関係は悪化し後白河法皇は頼朝を重宝することにした。不信感を募らせらた義仲は後白河法皇の御所を襲撃、後白河サイドの頼朝によって追討された。(※源氏名物:身内で殺しあい)
木曽義高
木曽義仲の子。父義仲と頼朝の武力衝突の間、従兄弟である頼朝の長女・大姫の許嫁、実質人質として鎌倉に送られてきた。父義仲が義経に打ち取られると、頼朝の命により義高追討の命が下る。(※源氏名物:身内で殺しあい)
大姫
源頼朝と北条政子の第一子、従兄弟の義高と婚約し仲睦まじく過ごすが、父により義高追討の命が下り、大姫は義高を逃すが、義高は捉えられ処刑された。衝撃をうけ心を病むが、そんな状態でも父はかつての清盛のように大姫を後鳥羽天皇のもとへ入内させようとするが、そのまま衰弱し入内は叶わず、20歳でこの世を去った。
源頼家
源頼朝と北条政子の長男。18歳で家督を相続した二代目将軍。外戚の北条氏に翻弄されて、ダメ将軍の烙印を押されているが有能説もある(有能なので操り人形にならなかった為暗殺された説)自身の外戚・北条家と乳母の一族・比企家の対立が起こり、頼家の妻子含む比企一族が滅ぼされ、頼家は修善寺へ幽閉の上暗殺された。(※源氏名物:身内で殺しあい)
源実朝
源頼朝と北条政子の次男。兄の死によって12歳で将軍にさせられる。和歌を愛した文化人。何も悪いことをしていないのに、父の仇と勘違いされて、鎌倉の鶴岡八幡宮の階段で甥の公暁に暗殺された。
公暁
頼家の子。比企家とは無関係なので命は助けられ仏門に入る。かわいそうに思った祖母政子の計らいで鶴岡八幡宮の宮司にもなったが、何故父と兄は殺されたのか、自分こそが正当な父の後継者であるべきと叔父実朝・北条義時を恨んだ。鶴岡八幡宮の階段で実朝を暗殺する。(※源氏名物:身内で殺しあい)
一幡
頼家と比企家の娘の子。自身にとって親戚であるはずの北条家と・比企家の対立が起こり、安徳天皇のように比企家と共に殺されてしまった。(※源氏名物:身内で殺しあい)
<北条家>
北条政子
頼朝の正室、大姫・頼家・実朝の母。頼朝の死後は息子の後見人として実権を握った。後鳥羽上皇による承久の乱蜂起では、政子による御家人への演説で武士を味方にし、天皇家に勝利してしまう。子供たちは皆不幸に死んでしまい、孫は子を殺した犯人という地獄を味合うことになった。
北条義時
政子の弟。源氏将軍が断絶した後は、名目上貴族を将軍に据えるが、実質的には義時が指導者となった。
■年表
1156年 保元の乱(↑後白河上皇+源義朝+平清盛 vs 崇徳上皇+源為義+平忠正↓)
1160年 源義朝死刑、若い頼朝は平時子の助命懇願により島流しで済む
1177年 鹿ヶ谷の陰謀
1179年 平重盛病死、清盛、後白河法皇を幽閉し日宋貿易を開始する
1180年 以仁王の令旨
1181年 平清盛死亡
1183年 破波山の戦い、源義仲入京
1184年 源義仲戦死
1185年 尾島の戦い
1204年 源頼家、暗殺される
1205年 北条義時が執権になる
1219年 源実朝、暗殺される
■参考資料(ドラマ)
■平家物語(アニメ)
平家に拾われた琵琶法師が主人公。みんな死なないでほしかった
■鎌倉殿の13人
NHK大河ドラマの名作!毎回死人が出ることでも有名でしたね。
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