吉田松陰
長州藩の下級武士。ペリーの黒船に密航することに失敗し投獄された。その後私塾「松下村塾」を開き、幕末の英雄たち(テロリスト)、明治政府の要人を育てた。過激派で老中暗殺計画を立てたり、幕臣の目の前で幕府批判をして、安政の大獄で死罪となった。松下村塾を続けられたのは僅か2年間だった。
高杉晋作
松下村塾四天王、松下村塾三優秀。身分に拘らず、志を大事にし、奇兵隊を組織した。幕府軍と戦うも、27歳の若さで病死。
久坂玄瑞
松下村塾四天王、松下村塾三優秀。吉田松陰の妹の夫でイケメン。禁門の変で薩摩・会津連合軍に敗れ、25歳で自害に追い込まれる。
吉田稔麿
松下村塾四天王、松下村塾三優秀。奇兵隊に参加。新撰組と会津藩士が起こした池田屋事件で24歳の時に討死した。
入江九一
松下村塾四天王。奇兵隊、禁門の変にも参加。
伊藤博文
日本の初代総理大臣。高杉先輩のことが大好き。松下村塾の中では長生きで68歳まで生き残るも、安重根に暗殺される。
山縣有朋
長州藩の下級武士出身の松下村塾生。奇兵隊で倒幕・攘夷活動に励み、幕府からの攻撃(長州征伐)で大活躍。奇兵隊の後輩の伊藤博文に出世を越されて部下となる。
野村靖
入江九一の弟。兄とともに老中・間部詮勝要撃計画に加わるも生き残る。イギリス公館焼き討ちに加わるも生き残る。
明治時代には神奈川県令、枢密顧問官、駐仏公使、内務大臣、逓信大臣などを務めた。
桂小五郎
松下村塾生ではないが、松陰の弟子。西郷や坂本龍馬と共に薩長同盟を締結した。
山田顕義
吉田松陰の先生の甥。禁門の変、馬関戦争、功山寺決起、戊辰戦争に従軍するも生き残る。日本大学、國學院大学の基礎を作った。
品川弥二郎
倒幕運動に参加、特に行動力と実務能力に優れていた。明治時代には内務官僚として出世し、最終的には内務大臣にまでなるも、強引な政治手法や言動が問題視され、失脚した。
松浦松洞
絵が得意で、みんなが知っている吉田松陰の絵を描いた人。開国派の長州藩士を暗殺しようとして失敗し、切腹している。
天野清三郎
久坂玄瑞らとともに尊王攘夷運動の中心的存在として活動、京都での尊攘運動に参加し、禁門の変では長州藩兵の一員として奮戦しましたが、戦いの中で若くして命を落とした。
正木退蔵
13歳のときに松下村塾で吉田松陰に学び、若くして藩主・毛利元徳の小姓を務め、藩内抗争の調停にも関わり、長州藩の動乱期に知識人として活躍した。明治維新後は英国留学を経て化学教育の先駆者となり、現在の東京工業大学の初代校長として日本の工業教育の基礎を築いた。晩年はハワイ総領事として移民行政にも尽力した。
岡野富太郎
木戸孝允の結婚時のお嫁さんの養父役。衝撃隊を組織、馬関戦争、四境戦争、戊辰戦争にも参加。
飯田俊徳
松下村塾で学んだ後、騎兵隊にも参加、藩内が正義派と俗論派に分裂した動乱期には、若くして鎮静会議に参加し、内戦回避のための調停役として奔走した。維新後は新政府に出仕し、地方行政や教育の分野で活動し、日本の鉄道敷設に努めた。
中村精男
松下村塾に学び、その後上京し、東京大学物理学科を卒業し、気象学社となる。日本の理科教育にも貢献した。
松本鼎
松下村塾で学んだ後、禁門の変、御楯隊、長州戦争、戊辰戦争に、函館五稜郭の攻略に参戦、凱旋後は藩の要職につくが脱隊騒動の責任をとり辞職。その後貴族院議員となった。
増野徳民
村医者の子。松下村塾で学んだ後、尊皇攘夷運動に参加するが、長井雅楽暗殺計画の失敗以降、故郷に帰り医者の道を志した。その後、芸州戦争へ軍医として従軍し、維新後は生涯医師として故郷で暮らした。
有吉熊次郎
松下村塾で学んだ後、英国公使館焼き討ちや池田屋事件の報告など、尊攘運動の最前線で活動しました。八幡隊の隊長も務めましたが、元治元年に23歳の若さで自刃。