歴史学科卒のイラストレーターが歴史上の人々の相関図を作ります。

🇫🇷百年戦争🇬🇧 

英仏・百年戦争の相関図を作成しました。

 

国同士の争い、というよりも親族間の家督相続争いの色が強いです。ヨーロッパの王族はみんな親戚ですからね^^; 亡きフランス王の孫のイングランド王がフランスの王位継承権を主張し、100年くらいの戦争が勃発します。そんなことに巻き込まれる国民がかわいそうすぎる。。。そしてフランス王女のイザベル、ドイツの王女のイザボー…なかなかヤバイ王女様が多い…酷い夫が多いからヤバくなってしまうのでしょうか(汗

 

■目次

<フランス側>
 

 

■人物紹介

<フランス側>
カペー朝

西フランク王国の王朝のカロリング朝の姻戚関係にあるパリ泊ユーグ・カペーがフランス王に選ばれて成立した王朝。ヴァロワ朝ブルボン朝オルレアン朝のフランスの歴代の王朝はカペー家の分族。ルイ16世が王位を剥奪された時はルイ・カペーと呼ばれた。

シャルル4世

第15代国王。カペー朝最後の王。男子の後継がいなかった為、シャルル4世の死を持って断絶

イザベル

シャルル4世の妹。13歳の時にフランス・カペー王家からイングランド王のエドワード2世に嫁ぐが、王は男の愛人を作り妻に嫌がらせをしたり、ロンドン塔に軟禁されたり等ヤバい夫にうんざりし、モーティマー男爵と愛人関係になり反乱を起こし、息子・エドワード3世を王位につけて傀儡政治を行うが、エドワード3世に反旗を翻される。愛人は惨たらしく殺され、自身は幽閉された

 

ヴァロワ朝

中世フランスの王朝。1328年にカペー朝が断絶したためカペー家の支流のヴァロワ家からフィリップ6世が即位し始まった。有名人は100年戦争のシャルル7世、神聖ローマ帝国・カール5世のライバルであったフランソワ1世、ユグノー戦争のアンリ2世妃のカトリーヌ・ド・メディシスなどがいる。1589年にヴァロワ朝最後の王・アンリ3世が暗殺され、その後はブルボン朝に代わる。

シャルル・ド・ヴァロワ

ヴァロワ家の祖

フィリップ6世

ヴァロワ朝第1代王。断絶した従兄弟王の後を継ぎ王になるも、別の従兄弟のイングランド王から難癖をつけられる。100年戦争の契機となった。

ジャン2世

ヴァロワ朝第2代王。フィリップ6世の子。百年戦争中に即位。ポワティエの戦いでイングランド軍に捕らえられた。一度解放されるも賠償金の用意ができなかったため、自ら再度捕虜になるも獄中死した。

シャルル5世

ヴァロワ朝第3代王。捕虜となった父王の名代として、重税に対するパリ市民の反乱を鎮圧し、百年戦争中のイングランドとはブレティニー条約を締結した。五月蝿いエドワード3世にフランス王位請求権の放棄を認めさせた。父は獄中死した為1364年に即位。バスティーユを建造

 

シャルル6世

ヴァロワ朝第4代王。シャルル5世の生き残った一人息子。前半は親愛王と呼ばれるくらい良い王様だったが、遺伝的な病気で発狂した。

イザボー

ドイツからやってきたシャルル6世の妃、カトリーヌとシャルル7世を含む12人の母。夫が精神病で統治不可になった。王弟オルレアン公・ルイとブルゴーニュ公・ジャン1世双方を愛人にしたなかなかヤバイ王妃。これはブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立の一因となった

カトリーヌ

シャルル6世の娘でシャルル7世の姉。トロワ条約のためにイングランド王家に嫁ぐ

シャルル7世

ヴァロワ朝第5代王。母イザボーはブルゴーニュ派を味方にすべく娘カトリーヌがイングランドで産んだイングランド王子のヘンリー6世をフランス王太子に据えた為、王位継承権を失う。別の派閥・アルマニャク派はシャルルを推して正式な戴冠式がないまま、一応の王として即位するも自信がない。神の声を聞いたという一般人・ジャンヌダルクが現れて励ましてもらったので、国王軍の指揮を任せてみたものの、オルレアン解放に見事成功、今まで負け続けていたイングランド相手に大勝する。導かれる形でランスで戴冠式を挙げた。その後ジャンヌはブルゴーニュ派の捕虜となりイングランドに引き渡され、火刑となったが、シャルルは救出に動かなかったので見捨てたと後世で嫌われている。晩年は愛妾アニュスに国政介入され、王太子のルイ11世とも確執が残ったまま崩御

ジャンヌ・ダルク

百年戦争でフランスの窮地を救った一般人の少女。神のお告げに従いシャルル7世に直談判し、国王軍を率いてオルレアンを解放し、いじけていたシャルル7世を励ましランスで戴冠式を成功させた。最後はブルゴーニュ派に捕らえられ、イングランドへ売られる。ルーアンで宗教裁判にかけられ魔女であるとの判決を受け、異端者として火刑に処された。死後数十年経ってから、捕虜となった時に助けてくれなかったシャルル7世は1455年になってから異端判決に対して復権裁判を起こし、キリスト教徒として復権させた。近代になるとカトリック教会の聖人にするように民衆は訴え、1920年には聖人に列された。

イングランド側>
プランタジネット朝

中世イングランドの王朝。フランス貴族のアンジュー公アンリがヘンリー2世としてイングランドでは王、フランスでは貴族(フランス王の家臣)という二重生活からはじまった王朝。その後のランカスター朝ヨーク朝プランタジネット朝の傍系

エドワード2世

プランタジネット朝イングランド王、父王の崩御で即位。同性愛者で男の愛人がいた。性格も悪く無能だったので、悲惨な結婚生活を送るハメになったフランスから嫁いできた王妃イザベラのクーデターによって幽閉され、議会から廃位の上で暗殺された。

エドワード3世

プランタジネット朝イングランド王、父王が廃位されたので14歳で即位。母イザベラと愛人モーティマーに実権を握られていたが、17歳でクーデターを起こしてモーティマーは惨殺、母は幽閉に留めた。母がカペー朝フランスの王女であったので、カペー家断絶について自分がフランス王位の継承権があると主張し百年戦争を始めた張本人。

 
エドワード黒太子

エドワード3世の子、黒い鎧を着ていたので黒太子と呼ばれた。父に従い幾つもの戦争に勝利した英雄だが、王になる前に若くして亡くなってしまった。

リチャード2世

エドワード黒太子の忘れ形見、プランタジネット朝最後の王。百年戦争や農民一揆などに翻弄された。専制政治を始めたところ諸侯に脅威と見なされ、廃位させられた。

ランカスター朝

中世イングランドの王朝(1399年〜1961年)(いわゆる分家が)議会の支持を受け、プランタジネット朝(いわゆる本家)から王位を剥奪。百年戦争で勝利していた時期はフランス王位も兼ねていた。その後の薔薇戦争で親戚のヨーク家と王位を争う

ヘンリー5世

ランカスター朝第2代王。休戦中の百年戦争を再開し、フランス国内のイングランド領を広げた。シャルル6世を何度も打ち破り、その娘を嫁にもらう。イングランド王がフランス王を兼ねられるように取り計らう。妻の兄弟であるシャルル7世とも激しく対立

 

ヘンリー6世

イングランド王ヘンリー5世とフランス王女カトリーヌの子。まだ子供でよく分かっていないのにフランス王も兼ねさせられる。この後起きる薔薇戦争でも酷い目に遭う。

 

■年表

1303年 フランス王女イザベルと英王太子エドワード2世婚約

1328年 シャルル4世崩御によってカペー家断絶

1337年 エドワード3世がフィリップ6世の王位継承に難癖をつける

百年戦争開始

1346年 クレシーの戦い(↑🇬🇧エドワード3世 vs 🇫🇷フィリップ6世↓)

1356年 ポワティエの戦い(↑🇬🇧エドワード黒太子 vs 🇫🇷ジャン2世↓)

1360年 ブレティニー条約締結

1407年 フランス国内がオルレアン派とブルゴーニュ派で二分される

1415年 アジャンクールの戦い(↑🇬🇧 vs 🇫🇷↓)

1416年 フランス国内の混乱、ブルゴーニュ派はイングランドに助けを求める

1420年 トロワ条約締結(ヘンリー5世とシャルル6世の娘の婚姻によってフランス継承権をイングランド王に認めた)

1420年 フランス王太子シャルルはトロワ条約の影響で王位継承権を否認

1425年 ジャンヌダルクが神の声を聞く

1427年 ジャンヌダルクがシャルル王太子に謁見

1428年 オルレアン包囲戦(↑🇫🇷 vs 🇬🇧↓)

1430年 ジャンヌダルク捕まる

1431年 ジャンヌダルク火刑

1453年 カスティヨンの戦い(↑🇫🇷 vs 🇬🇧↓)

1475年 ピキニー条約締結(百年戦争終戦、フランス王位はフランスに返還)

■参考資料(ドラマ)

ジャンヌダルク(映画)

www.youtube.com

バイオハザードミラ・ジョボビッチ主演。かっこいい

 

 

■使用素材について

 

↓ 相関図には自作のフリー素材を使用しています。

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