
メディチ家の相関図を作成しました。
メディチ家とは、ルネッサンス時代のイタリアのフィレンツェで、元々は銀行家だったのですが、共和制の下で裏の支配者となり、その後本物の君主・トスカーナ大公国の君主として君臨することになりました。メディチ家はルネッサンスの芸術家のパトロンとして、芸術家の支援もしていたので、西洋美術史では必須の家門です。
■目次
■人物紹介
ジョヴァンニ・ディ・ビッチ
メディチ家を大きくしたので、始祖とされる(彼が生まれる前から先祖はメディチさんであったけれど)羊毛商の子だが、親戚の銀行家の元で経験を積み、逆タマで得た資金をもとにメディチ銀行を創設し、大儲けした商人。
【兄派】
コジモ
ジョバンニの息子。メディチ銀行を経営しつつ、共和制を取っていたはずのフィレンツェで陰の支配者として君臨するが、まだ「王」ではない。
痛風病みのピエロ
コジモの息子。持病は酷い痛風と病弱。フィレンツェの陰の支配者の地位は世襲されるも、5年ほどで病死。メディチ銀行はこの頃から経営困難になってきていた。
ロレンツォ(イル・マニフィコ)
ピエロの息子で20歳でフィレンツェの陰の支配者の地位を世襲。「豪華王」「偉大王」とも称される。ルネサンスの黄金期を築く。ダヴィンチ(※最初の、その後最終的にはフランソワ1世の元へ行く)やボッテチェルリのパトロン。若き日のミケランジェロも自宅に住まわせた。
ジュリアーノ
ロレンツォの弟。イケメンで兄弟仲がよかったが、敵に暗殺される。
愚昧なピエロ
ロレンツォの長男。カトリーヌ・ド・メディシスの祖父。父の死によりメディチ家の当主(陰の支配者)となるも、チャラい生活を送り、親戚の「弟派」のロレンツォとジョバンニ・ディ・ピエルフランチェスコ兄弟と対立。メディチ銀行じゃ破綻し、シャルル8世のフランス軍に降伏し、フィレンツェ市民からは恨まれて亡命。メディチ家は一家総出でフィレンツェを永久追放された。
ローマ教皇レオ10世(ジョバンニ)
ロレンツォの次男、愚昧なピエロの弟。父がその庶子(=妹)がローマ教皇インノケンティウス8世の庶子と結婚することによって、教皇と姻戚関係を結べた。そのコネで16歳にして最年少の枢機卿となる。メディチ家がフィレンツェから追放されると、メディチ家の当主として復興運動をする。弟ジョバンニを表に立てて、陰の統治者として君臨。ローマでは教皇が死去したので、次の教皇を誰にするかとなった時、若いけど不健康ですぐ死にそうという理由で候補に選ばれて当選。しかしこの教皇即位によって、もともと商人であったメディチ家はヨーロッパの王族と同等の一族となった。メディチ家を永久追放したはずのフィレンツェ市民も喜んだけれど、とっても浪費家で、後の宗教改革の原因となった。ミケランジェロ(実は幼馴染)やラファエロらのパトロン。
クレメンス7世(ジューリオ)
イケメンのジュリアーノの庶子。自身もイケメン。従兄弟のレオ10世とは兄弟のように育つ。従兄弟のコネでフィレンツェ大司教、枢機卿などの職務についた。従兄弟の後のローマ教皇になれるかと思ったが、オランダ人のハドリアヌス6世が選ばれたが、1年で死んだので、その次のローマ教皇となる。フランスのフランソワ1世と神聖ローマのカール5世のイタリア戦争、愛妾と再婚したいイングランド王のヘンリー8世の離婚問題、オスマントルコによるハンガリー侵攻など中々ヤバい時代を経験。しかし、本人もメディチ家のことばかり考えていたので、権威を喪失していった。
アレッサンドロ
クレメンス7世と召使の間に生まれた庶子。「初代フィレンツェ公」となる。父が亡くなると暴君と化した。女遊びが激しいが、バイなのか男もウェルカムで、男の愛人のような感じの親戚のロレンザッチョのことも大好きだったが、ハニトラ作戦でロレンザッチョに殺されてしまった。
ロレンツォ2世
愚昧なピエロの子、カトリーヌ・ド・メディシスの父。叔父のレオ10世によりウルビーノ公に叙任された。(父が失脚したため、メディチ家当主になれなかった)
カトリーヌ・ド・メディシス
ロレンツォ2世の子だが、生まれてすぐに父母を亡くし孤児となった。偉い親戚のおじさん(クレメンス7世)によってフランスのアンリ2世と結婚するも、アンリ2世は結婚前から愛妾に夢中だったので、不幸な結婚だったが、子供は生まれる。夫の死後に愛妾は追放し、幼い子供たちの摂政として政治を牛耳る。宗教戦争が起こり、プロテスタントを大虐殺し、その後息子アンリ3世は大暴走して暗殺され、ヴァロワ町は断絶した。
【弟脈】
ロレンツォ
弟派の始祖。自身は早くに亡くなるも、子孫が大活躍!
ピエル・フランチェスコ
ロレンツォの子だが、父が早くに亡くなったため、叔父のコジモに育てられる。メディチ家傍系のコンプレックスはあったのか、従兄弟のピエロのことが大嫌い
ロレンザッチョ
ピエル・フランチェスコの子。若い頃はアレッサンドロとコジモ1世とともに教育をうける健全な仲だったが、バイのアレッサンドロ(最初のトスカーナ公)とはゲイ関係になる。自分の妹を使って、ハニトラを仕掛けて、アレッサンドロを暗殺した。その後第2代トスカーナ公となったコジモ1世に暗殺された。
ジョヴァンニ・イル・ポポラーノ
ピエル・フランチェスコの子だが、父との死別によって、本家に引き取られるも、従兄弟であるロレンツォ・イル・マニフィコに遺産を我がものとされ、関係悪化、ロレンツォの死後はその後継者の愚昧のピエロとも仲が悪く、フィレンツェから追放される。フランス王シャルル8世のイタリア侵攻でピエロを追い出して、フィレンツェに帰還。
黒隊長ジョヴァンニ(ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ)
戦争で活躍した勇ましい剣士。市民からも大人気で「黒隊長」と呼ばれる。11歳で父を亡くし、親戚のレオ10世の元で軍人として育てられる。イタリア戦争でカール5世軍と勇敢に戦い大人気となる。後に戦死。
コジモ1世
黒隊長ジョバンニの子、母はロレンツォ・イル・マニフィコの孫娘(娘の娘)。トスカーナ大公国の1代目の君主。メディチ家兄脈にも候補はいたが、黒隊長の人気が決め手だった。コジモ1世の治世で今の美しい観光名所的なフィレンツェの景観が作り上げられた。
フランチェスコ1世
コジモ1世の子、マリー・ド・メディシスの父。ハプスブルクから奥さんをもらうが、愛妾に夢中で奥さんが病死すると、間も無く愛妾と再婚。それによって評判が悪くなり、合わせて弟が妃殺し、妹の暗殺事件が起き、トスカーナ大公国は威信を失う。旅行先で後妻と共に別荘でマラリアで死亡。(毒殺説もあり)
マリー・ド・メディシス
フランチェスコ1世とハプスブルクの姫・ヨハンナの子、フランス王アンリ4世の妃、ルイ13世の母。なかなかの毒親。息子に嫌われるも、割と平凡な生涯を送ったが、承認欲求がやばい人だったので、巨匠・ルーベンスに「マリー・ド・メディシスの生涯」というファンタジー超大作な絵画を描かせた。ルーヴル美術館で見れます。
フェルディナント1世
コジモ1世の子、フランチェスコ2世の弟。兄夫妻の急死でトスカーナ大公になる。親フランス政策で姪のマリー・ド・メディシスをブルボン朝フランスのアンリ4世に嫁がせたり、遠縁のレオ11世をローマ教皇へ選出させた。懸命な政治手腕を持ち、市民からも人気が高かった。
コジモ2世
フェルディナント1世の子。病弱だったので、親政はできなかった。ガリレオ・ガリレイの最初のパトロン。
フェルディナント2世
コジモ2世の子。優しいけど無能だったので、トスカーナ大公国は経済疲弊し、小国に成り下がってしまった。
コジモ3世
フェルディナント2世の子。妃はルイ14世の従兄弟のマルゲリータ・ルイーザだったが、不幸な結婚だった。
ジャン・ガストーネ
メディチ家最後のトスカーナ大公。52歳で父の死に伴い、大公になるも、すでに傾国となっていた状況で奮闘するも、何をやっても上手くいかずアル中となり死ぬ。その死をもってメディチ家のトスカーナ支配は終わり、欧州列国によってロレーヌ公フランツ・シュテファン(マリア・テレジアの夫)のものとして、ハプスブルクに組み込まれていった。(一応独立国家の形を取ってくれた)
■年表
1434年 メディチ家が共和制の元で政権掌握
1439年 フィレンツェで宗教会議を開催(アリストテレスに出会う)
1453年 ビザンツ帝国からフィレンツェに知識人が亡命してくる
1459年 プラトンアカデミーを設立
1494年 イタリア戦争勃発、シャルル8世によってメディチ家は追放される
1513年 メディチ家からローマ教皇レオ10世を輩出し、復活する
1512年 ミケランジェロ、「システィーナ礼拝堂の天井絵」の完成
1517年 ドイツで宗教改革
1527年 神聖ローマ皇帝カール5世(=スペイン王)によるローマの劫略(破壊)
1529年 神聖ローマとの和睦
1532年 神聖ローマのカール5世により、アレサンドロをフィレンツェ公にする→【フィレンツェ大公国の成立】
1537年 アレッサンドロの暗殺
1537年 コジモ1世が二代目のフィレンツェ公となる
1569年 コジモ1世は神聖ローマにトスカーナ大公の地位を与えられる。
1737年 メディチ家の断絶
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