歴史学科卒のイラストレーターが歴史上の人々の相関図を作ります。

第一次世界大戦の相関図

第一次世界大戦の相関図を作成しました。

1914年−1918年の4年間続いたヨーロッパが主戦場になった世界大戦です。日本も何故か参戦してますが、被害があまりないので関心が薄いと思います。私もよくわからなかったので、調べてまとめた次第になります。

 

■目次

<中央同盟国>
 
<連合国>

 

■人物紹介

<中央同盟国>
🇦🇹オーストリア・ハンガリー帝国

1867年〜1918年にあったハプスブルク大帝国。現在のオーストリアハンガリーチェコスロバキアポーランドウクライナルーマニア、イタリア、スロベニアクロアチアセルビアモンテネグロボスニア・ヘルツェゴビナを領土とした。ボスニア・ヘルツェゴビナを併合した際に、セルビア王国および後援国のロシア帝国の怒りを買う。セルビア人青年による皇太子夫妻暗殺テロをきっかけに第一次世界大戦を起こすが、その大戦敗戦が影響して滅亡する。

フランツ・フェルディナント

皇位継承者であった従兄弟の自殺と父の病死により、皇位継承者となった。チェコ人の女官であったゾフィー・ホテクと恋仲になり結婚を望むが、皇帝からは皇太子ふさわしくないと反対される。その反対を押し切り結婚するも、ロイアルファミリーから妻子の地位は認められていなかった。そのためセルビアでのパレードでは皇太子夫妻として扱いがされたので、社会情勢が悪化する中で危険を承知で決行してしまった為夫妻揃って暗殺されてしまった。

ゾフィー・ホテク

ボヘミア貴族の娘で女官であったが、フランツ・フェルディナント大公と恋におち、身分違いの貴賤結婚と反対される中結婚。結婚の条件は皇族としての特権を全て破棄し、子供にも皇位継承権なし、大公との公の場の同席禁止といったものであった。サラエボで初めて同席が許されたが、そこで夫妻揃って暗殺されてしまう。

フランツ・ヨーゼフ1世

美貌で知られる皇妃エリザーベトの夫。自身の実子は自殺してしまったので、甥を皇太子に据るが、セルビア人に暗殺されてしまう。皇位継承者が殺されて黙っているわけにはいかず、セルビアへの宣戦布告書に署名した。終戦を待たずに肺炎で崩御

🇩🇪ドイツ帝国

1817年〜1918年にあった帝政ドイツ(プロイセンの後継)第一次世界対戦の影響で滅亡。

ヴィルヘルム2世

帝国主義政策を推進していたが、他の帝国主義国(🇬🇧🇫🇷🇷🇺)と対立し、第一次世界大戦とその敗戦を招いてしまった。戦争国民の不満が溜まり、ドイツ革命が勃発し、自身は亡命、退位することになる。

🇹🇷オスマン帝国

1299年〜1922年に存在した大帝国。現在のトルコ。元々は小アジアの片隅に生まれたイスラム王朝であったが、東ヨーロッパキリスト教圏までも支配し大帝国となった。第一次世界大戦に参戦するも、1918年に敗戦。その影響でオスマン帝国が崩壊した。

🇧🇬ブルガリア王国

1908年-1946年に存在した国。第一次世界対戦に敗戦し、ブルガリアの政局は混迷したたが存続、第二次世界大戦の敗戦により国民投票の結果王政廃止となる。

 

 

<連合国>

🇷🇸セルビア王国

1882年〜1918年にバルカン半島に存在した国家。現在のセルビアモンテネグロ第一次世界大戦によってオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊後にユーゴスラビア王国と発展する形で消滅。

プリンツィプ

オーストリア皇太子夫妻の暗殺犯

🇷🇺ロシア帝国

1721年〜1917年に存在した最大のスラヴ帝国。現在のロシア、フィンランドリトアニアウクライナポーランドベラルーシコーカサス中央アジア外満州など広く支配していた。後援するセルビアを擁護する形で参戦した第一次世界大戦であったが、大戦中にロシア革命が勃発、ソビエトを設立し社会主義国家が取って代わることになる。

ニコライ2世

家族を愛するロシア皇帝。国民への愛は皆無なのが見え見えだったので、嫌われてしまい革命を起こされ、大好きな家族ごと殺害されてしまう。昔日本に来たこともあるが、警察官により暗殺未遂に遭い大怪我を負ったり散々な人生。

レーニン

ロシア革命を指導し、最初の社会主義国ソビエト連邦を建設した革命家。ニコライ2世家族の殺害指示容疑については否定している。

🇬🇧大英帝国

ドイツと対立、更にオスマン帝国を切り崩すために三枚舌外交をする。アラブ人には「オスマン帝国崩壊後にこの地域をあげる」と言って反乱を起こさせ、ユダヤ人には「この地域をユダヤ人の国家を作っていいよ」と言ってユダヤ資金を巻き上げた。その結果イスラエルパレスチナ紛争が現代でも続いている。

ジョージ5世

イギリス国王。ニコライ2世の従兄弟で顔がそっくり。エリザベス2世の祖父。

🇫🇷フランス共和国

イギリスの同盟国

🇯🇵大日本帝国

日英同盟があるので、西欧列強でないのに何故か参戦。

大隈重信

当時の日本の首相

🇮🇹イタリア王国

元々オーストリアの同盟国なのに、いつの間にか連合国側で戦勝

 

 

 

■年表

1914.6 サラエボ事件(🇷🇸セルビア民族主義者が🇦🇹オーストリア皇太子夫妻を暗殺)

1914.7 宣戦布告(🇦🇹→🇷🇸)

1914.8 宣戦布告(🇩🇪→🇷🇺、🇩🇪→🇫🇷、🇩🇪→🇧🇪、🇯🇵→🇩🇪)

     タンネンベルクの戦い(ロシアがドイツに大敗)

1914.9 マルヌ会戦(ドイツ軍の進撃停止)

    マズーリ湖沼の戦い(ロシア軍、ドイツから撤退)

1914.11 宣戦布告(🇬🇧🇫🇷🇷🇺→🇹🇷)

1915.4 第二次イベリット会戦(毒ガス戦)

1915.5 ルシタニア号事件(ドイツ潜水艦により民間船撃沈)

    宣戦布告(🇮🇹→🇦🇹)

1915.7   ゴットランド島沖海戦(🇷🇺vs🇩🇪)

1915.12 五国宣言(🇬🇧🇫🇷🇷🇺🇯🇵🇮🇹)

1916.2 ヴェルダンの戦い

1916.5 サイクス・ピコ協定(🇬🇧🇷🇺🇫🇷中東分割の秘密協定)

     ユートラント沖海戦(🇬🇧vs🇩🇪)

1916.6 アラブの反乱

     ブルシーホフ攻勢(🇦🇹敗北)

1916.7 🇫🇷ソンムの戦い(初めて戦車が登場)

1916.8 宣戦布告(🇷🇴→🇦🇹)

    トランシルヴァニアの戦い(🇷🇴ブカレスト陥落)

1916.10  ヴェルダンの戦い

1917.3 🇬🇧イギリス軍、バクダット占領

1917.3 🇷🇺ロシア革命

1918.3  プレスト=リトフスク講和条約

1918.7 第二次マルス会議

    🇷🇺ニコライ2世一家の殺害

1918.8 アミアンの戦い

1918.11  キール軍港の反乱

     🇩🇪ベルリン革命→ヴィルヘルム2世退位「ドイツ共和国宣言)

     第一次世界大戦終結

 

■使用素材について

 

↓ 相関図には自作のフリー素材を使用しています。

www.ac-illust.com

 

 

会員登録すれば無料でダウンロードできます。
家系図作成や教材などにもご利用いただけます。