1371年〜1714年まで続いたスコットランド系の王朝です。宗教問題で大変な時代、そしてメアリーばっかりですね。
■目次
■人物紹介
メアリー・ステュアート
スコットランド王・ジェームズ4世とヘンリー8世の姉マーガレット・テューダーの孫。産まれたばかりで父が戦地で亡くなり、生まれながらのスコットランド女王となる。イングランドのエリザベス1世が庶子になったことがあることから、血統の良い自身こそがイングランド女王を兼ねるべきだと都度絡んでくる。男運がなく、最初の結婚では夫であるフランス王・フランソワ2世が早く亡くなり、二度目の結婚は従兄弟のダーンリー卿ヘンリーと再婚したが、顔だけの男であったヘンリーに冷めて不仲になり、三度目の結婚はそのヘンリーを殺したとされる重臣・ボスウェル伯との再婚だったので、国民から大ブーイングを買い、親戚のエリザベス1世を頼りイングランドに亡命。亡命後も自分がイングランド女王だとしつこく絡んだせいで処刑された。
ジェームズ5世
スコットランド王ジェームズ4世とイングランド王女マーガレット・テューダーの子、メアリー・ステュアートの父。産まれたメアリーに会うことなく戦地で病死した
メアリー・ド・ギーズ
フランスの大貴族ギーズ家の出身、ジェームズ5世と再婚してメアリーを産むも、夫は戦地で亡くなり、産まれたばかりの娘が女王として即位し、摂政となる。
フランソワ
若きフランス王、メアリー・ステュアートの最初の夫、すぐに亡くなってしまう。
カトリーヌ・ド・メディシス
フランス王・フランソワの母、メアリー・ステュアートの姑。
マーガレット・テューダー
イングランド王女、スコットランド王・ジェームズ4世妃。メアリー・ステュアートの祖母(後述のダーンリー卿ヘンリーの祖母でもある)
ヘンリー8世
毒親のイングランド王。6人の妻をとっかえひっかえして、そのうちの2人を処刑した。
エリザベス1世
イングランド女王。メアリー1世を処刑するが、自身に後継がいなかったため、処刑した親戚のメアリーの子ジェームズを次期イングランド王に指名する。
ダーンリー卿ヘンリー
メアリー・ステュアートの2番目の夫(王配)、祖母(イングランド王女・マーガレット)を同じくする従兄弟。母の策略によりメアリー1世と引き合わせられ、メアリー・ステュワートに一目惚れされ結婚。(肖像画ではそうでもないけど…)カナリのイケメンだったらしい、最初は良かったが、結婚生活でだんだんとエゴイストな部分や野心がドンドン出て、夫婦仲も冷めていく。その原因をメアリーの不倫を疑い、疑惑の男をメアリーの目の前で殺害した。ヘンリー自身もその後疑惑の死を遂げる。(容疑者メアリー&新恋人と噂される者)
ジェームズ1世(スコットランド王としては6世)
メアリー・ステュアートとダーンリー卿ヘンリーの1人息子。0歳で父は不審死し、その犯人と疑われた母と引き離されて、1歳でスコットランド女王である母がイングランド女王に処刑されたので、幼少でスコットランド王として即位する。35歳の時に母の仇であるエリザベス1世のおかげでイングランド王も兼ねることになり、歴史上初めて2国が同君連合となった。スコットランド人であるにも関わらず、イングランド国王就任後はスコットランドに帰らなくなった。ジェームズ1世の治世下でアメリカ大陸の植民地化の開始、清教徒革命、ガイフォークスによる火薬陰謀事件などが起こった。
チャールズ1世
ジェームズ1世の子、先祖たちのせいでカトリックvsプロテスタントの対立が酷い時代を統治する羽目になる。カトリックゴリゴリのフランス王女(ルイ13世の娘)を妻に迎え、国民から反発を受け、父が唱えた「王権神授説」を間に受けて、議会を蔑ろにする。その結果フランス革命のように臣下からの正教徒革命(ピューリタン革命)で殺されてしまう。王政は断絶してしまった。愛妻家でありながらイギリスで唯一処刑された王。
チャールズ2世
チャールズ1世の子、ルイ14世の従兄弟。清教徒革命の前に母の母国のフランスへ亡命、スコットランドの王になり、スコットランド軍を率いてイングランドの王政復古を果たす。その治世下で飢饉、ロンドン大火が起きるが、その間も贅沢を極めた。王になる前はヒーローだったが、王になってからは国民から嫌われてしまった。
メアリー王女
チャールズ1世の娘。オランダ総督家の妻になり、後のウィリアム3世を産んだ。
ジェームズ2世
清教徒革命で処刑されたチャールズ1世の子、チャールズ2世の弟。熱心すぎるカトリック教徒。せっかく王政復古したけど、カトリック復興を強行して議会と対立し、フランスに亡命することになる。自身も父同様に処刑されそうだったが、プロテスタントの娘夫婦を後継者にする+議会の承認で生き延びることが出来た。
ウィリアム3世
オランダ総督家(事実上のオランダ王家)に産まれたが、政略結婚+自身の母方の血筋+プロテスタントだったから…など色々な理由で名誉革命によってイギリス国王に迎えられた。妻は母方の従兄弟のメアリ2世(こっちの方が継承順位高い)で共同統治の形態をとった。バイの遊び人だったらしい。
メアリー2世
ジェームズ2世の娘。オランダ総督家へ嫁ぐ際にプロテスタントからカトリックに改宗した。幾度の流産を繰り返し、結局世継ぎは残らなかった。
アン1世
ジェームズ2世の娘、メアリー1世の妹、ステュアート朝最後の女王。デンマーク王子を王配に迎え18人の子が産まれたが、全員亡くなってしまった。その哀しみからアル中になりブランデー・アンとも呼ばれる。世継ぎが残らなかった為、ステュアート朝は断絶となる。その後はジェームズ1世の孫娘の子をドイツから連れてきてハノーヴァー朝が始まる。
■年表
1587年 メアリー・ステュアート処刑
1606年 ユニオンジャック🇬🇧の制定
1625年 チャールズ1世即位
1642年 ピューリタン革命
1649年 チャールズ1世処刑、清教徒革命、王政廃止
1660年 王政復古でチャールズ2世即位
1666年 ロンドン大火
1685年 ジェームズ2世即位
1688年 名誉革命で議会政治が定着、ジェームズ2世国外追放
1707年 グレートブリテン王国の成立
■参考資料
■ふたりの女王 メアリーとエリザベス
■女王陛下のお気に入り(2018年映画)
この映画でアン女王役のオリビア・コールマン(The Crownのエリザベス2世の中年期役)アカデミー賞で主演女優賞を取りました
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