歴史学科卒のイラストレーターが歴史上の人々の相関図を作ります。

🇦🇹マリアテレジアの周辺相関図

マリア・テレジアを主役にした相関図を作成しました。

 

有名な娘にマリーアントワネットがいますが、他の子供たちも濃い〜です。

 

■目次

 

■人物紹介

カール6世

第12代神聖ローマ帝国皇帝。最後の男系男子。後継に男子がいなかった為、娘のマリア・テレジアを指名する。

マリア・テレジア

オーストリア帝国皇帝…ではない。女子は皇帝になれなかった。オーストリア大公は父から相続するも、プロイセンやらなんやらが難癖をつけてきてオーストリア継承戦争に発展する。ハンガリーやフランス、ロシアを味方につけてプロイセンを叩きのめす。夫のフランツ1世とは恋愛結婚をし神聖ローマ帝国皇帝位は夫に任せる。皇帝ではなかったが実質「女帝」として政治手腕に優れており、教育制度の改革や産業復興に努め、今でも国民に慕われている。夫大好きで、夫が先に亡くなってしまい悲しんで、死ぬまで喪服を着続けていた。

フランツ1世

マリア・テレジアの夫。正式にはオーストリア大公であるが権力はなかった。

【子供たち】
マリア・エリザヴェータ

長女。3歳で夭折。

マリア・アンナ

次女。側湾症を患っていたため、政略結婚のコマとして役に立たなかった。しかし心優しく、穏やかな性格から父親のお気に入りの娘であった。

マリア・カロリーナ

三女。1歳で夭折。

ヨーゼフ2世

待望の長男。内気で堅物気味。父のフランツ1世崩御後、母のマリア・テレジアと共同統治を行った。テレジアの天敵であったプロイセンのフリードリヒ2世に憧れていた。最初の妻にベタ惚れしていたが、あまり好かれていなかった。

マリア・クリスティー

四女。愛称ミミ。母のマリア・テレジアのお気に入りの愛玩子で贔屓されていたため、他兄弟から嫌われていた。姉妹の中で自分だけ政略結婚をせずに好きな相手(格下)と恋愛結婚した。兄の最初の妻とは仲良くなれたが、フランス王妃になった妹を訪ねてみたところ、嫌われていたので会ってもらえなかった。

マリア・エリーザベト

五女。姉妹の中で1番美人だったらしいが、天然痘に罹り美貌を失う。姉のマリア・アンナのことを馬鹿にしていたが、晩年は一緒に暮らした。

 
カール・ヨーゼフ

次男。パリピ。テレジアのお気に入りで兄を見下していた。天然痘で15歳で死去。

マリア・アマーリエ

六女。22歳の時にツヴァイブリュッケン公子カール・アウグストと恋に落ちるが、母に邪魔されて、政略結婚の駒としてパルマ公に嫁がされる。結婚はしたが、母に反感を抱き駒になることを拒否。母とは疎遠になり勘当された。

オポルト2世

三男。ヨーゼフ兄さんと仲良し。スペインのマリア・ルドヴィカと結婚し、後のハプスブルク家、マリールイーズやフランツヨーゼフ1世などの祖先となった。

マリア・カロリーネ

七女。生まれた当日に夭折。

マリア・ヨハンナ

八女。妹のマリア・ヨーゼファと仲良し。12歳で天然痘で死去

 
マリア・ヨーゼファ

九女。大好きな姉のマリア・ヨハンナは亡くなったことを悲しみ、天然痘を恐れるようになった。政略結婚でナポリ王子に嫁ぐ直前に天然痘で死去。

マリア・カロリーナ

十女。妹のマリア・アントニアと仲良し。フランス王子に嫁ぐ予定だったが、姉のマリア・ヨーゼファが亡くなったため、繰り上げでナポリ王子の元へ嫁ぐことになった。結婚後は夫に代わって政治の実権を握り国を動かした母ゆずりの女傑。そして母同様に18人ものたくさんの子供も産んだ。

フェルディナント・カール

四男。エステ家の娘と結婚し、オーストリアエステ家の始祖となった。

マリア・アントーニア

十一女。フランス名はマリーアントワネット。パリピ。姉の繰り上げ政略結婚により、自分も繰り上げられてフランス王家へと継ぐ。最初は歓迎されていたが、だんだんとフランス国民からスケープゴートとされ、市民革命によって処刑された。

マクシミリアン・フランツ

五男。ケルン大司教となった。音楽や芸術を愛し、ベートーヴェンパトロンにもなった。

 
【子孫】
フランツ2世

マリアテレジアの孫、レオポルト2世の長男。フランス革命進行中に即位。叔母のマリーアントワネットに助けを求められたが、面識のない叔母のためにオーストリアを犠牲にすることができずに見捨てた。

フェルディナント3世

マリアテレジアの孫、レオポルト2世の次男。

マリー・ルイーズ

マリアテレジアの曾孫、フランツ2世の娘。政略結婚で大嫌いなナポレオンに嫁ぐことになり。結婚後は心を許しナポレオン2世を産むも、夫の破滅後息子にも興味をなくす。

フェルディナント1世

マリアテレジアの曾孫、フランツ2世の子。神聖ローマ帝国最後の皇帝となった。

フランツ・カール

マリアテレジアの曾孫、フランツ2世の子。自身は皇帝に即位していないが、息子が皇帝になった。(エリザベートの旦那のフランツヨーゼフ2世

 
【外国】
フリードリヒ2世

プロイセンのやり手の王様。若い頃はマリアテレジアと縁談話があったが、天敵となった。父親がなかなかの独親で、女嫌いになってしまった。

■年表

1736年 マリアテレジア、ロートリンゲン公フランツシュテファン

1740年 カール5世崩御オーストリア継承戦争開始

1742年 バイエルン選帝侯が神聖ローマ皇帝に即位(ハプスブルク家は一時期皇帝位を失う)

1745年 神聖ローマ皇帝崩御、夫フランツがフランツ1世として即位

1756年 オーストリア継承戦争終結、シュレージェンは割譲された

1765年 プロイセン七年戦争

1765年 フランツ1世崩御、マリアテレジアとヨーゼフ2世の共同統治開始

1770年 マリーアントワネット、フランスへ嫁ぐ

1780年 マリアテレジア崩御ヨーゼフ2世の単独統治開始

1789年 フランス革命勃発

1790年 ヨーゼフ2世崩御、レオポルト2世即位

1792年 レオポルト2世崩御、フランツ2世即位

1793年 マリーアントワネット処刑

1804年 ナポレオン、フランス皇帝に即位、

      フランツ2世、ハプスブルク家領をオーストリア帝国と称する

1805年 オーストリア・ロシア連合軍、ナポレオン軍に大敗

1806年 フランツ2世の退位に伴い神聖ローマ帝国解体

1810年 ナポレオンとマリールイーズの結婚

 

■参考資料(書籍)

■コミック版世界の伝記 マリア・テレジア


 

■使用素材について

 

↓ 相関図には自作のフリー素材を使用しています。

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