歴史学科卒のイラストレーターが歴史上の人々の相関図を作ります。

🇯🇵大奥Ⅱ 〜綱吉の時代〜

大奥(綱吉時代)の相関図を作成しました。
犬と女が大好きな将軍です。

 

■目次

■人物紹介

(5)徳川綱吉

犬公方、徳川5代目将軍。兄の死後に将軍継承した。あの忠臣蔵は綱吉の時代。犬と女が大好き。こんなに女好きでハーレム大奥に君臨していたのに、後継には恵まれなかった。生類憐れみの令や忠臣蔵の主役たちの処刑や改易などで、民や後世の日本人からも悪政を敷く馬鹿将軍だと嫌われたが、最近は先進的な平和政策だったのではないかとも再評価されつつある。

桂昌院(お玉)

先々代の将軍・家光の側室。八百屋の娘から将軍側室に成り上がった元祖・玉の輿(お玉だから)あの頃の可愛らしい側室(お夏とバトってたけど…)も時を得て恐ろしい将軍生母のお姑様に進化した。

(3)徳川家光

綱吉のパパ。

鷹司信子

綱吉の正室。京都から来た由緒ある左大臣家のお姫様。三代将軍の正室鷹司孝子の姪。ウザい姑にウンザリしており(ドラマでは身分の低い出の姑の出自を正面から馬鹿にしていた)、側室のお伝の方とバチバチの関係。綱吉の死因は恨みが募った信子による殺害説もある。(天然痘説もある)

お伝の方

下級武士の娘。低い身分から成り上がった生い立ちからか、桂昌院お気に入りの綱吉の側室。姑に好かれており、後ろ盾がいるため、妻たちの中で唯一男児・徳松を産むも、徳松は幼くして亡くなってしまう。娘の鶴姫は成人できた。鷹司信子率いる公家チームと対立していた。

阿久里

牧野成貞の正室でありながら綱吉のお手つきでもあった(…側室にまで大奥に上がったという説もある)元々は桂昌院の侍女であったが、牧野に嫁ぎ三人の女子を産んだ後、綱吉に見染められてしまう悲劇が起きる。美人って大変だ。

安子

牧野成貞と阿久里の娘。既に牧野家の婿養子となった夫がいたのに綱吉の側室にされ、夫は自害した(…という説もある)。母娘を両方側室にしてしまう綱吉はヤバすぎる。

牧野成貞

綱吉に重宝された側用人。妻子を将軍に献上した。

柳沢吉保

綱吉の側用人となり文治政策を推進したが、綱吉の失政の責任を負わされ失脚。忠臣蔵では吉良と浅野内匠頭の喧嘩(最終的に浅野がブチ切れて刺殺事件までに発展)で浅野に切腹を命じた悪いやつとして描かれている。

染子

柳沢吉保の側室。元々は吉保生母の侍女であった。吉保によって綱吉に差し出され男児を産むが、大奥入りしていない愛人に過ぎなかったので、柳沢吉保の子として柳沢家を継いだ。

典侍の局(おおすけのつぼね)

公家のお姫様。高級女官として宮中に支えていたが、桂昌院の意向で高級女中扱いで大奥入りし、綱吉に見染められてしまい側室になる。

新助の方(新典侍の局とも呼ばれる)

公家のお姫様。大奥総取締の右衛門左局により、綱吉の側室に迎えられた。

■年表

1646年 3代将軍・徳川家光の四男として、綱吉誕生

1652年 父の徳川家光死去、腹違いの兄が徳川家綱が将軍になる

1677年 兄の4代将軍・家綱の養子になる

1680年 綱吉、5代将軍になる

1684年 若年寄による大老堀田正俊殺害事件、牧野成貞と柳沢吉保を重用

1687年 生類憐みの令
1691年 湯島聖堂建立

1701年 浅野内匠頭吉良上野介を斬りつける

1702年 大石内蔵之介ら赤穂浪士による吉良邸討ち入り(忠臣蔵

1709年 綱吉死去

■参考資料(ドラマ)

■大奥(1968)

www.youtube.com

3代将軍・家光の時代から15代将軍・慶喜の時代までの全50話です。
公式配信では2話までしかなかったのですが、綱吉の時代は第8回〜です。 この2話にはお玉(桂昌院)は出てきます。

 

■大奥〜華の乱〜

 YouTubeで番宣動画を見つけることは出来ませんでした。
 FODで見れるようです。

 

■あゝ忠臣蔵

www.youtube.com

有名な忠臣蔵です。

■使用素材について

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