日本の三英傑(信長・秀吉・家康)の相関図を作成しました。
親族関係、殺人関係がすごいですね。複雑に入り乱れています。
大河ドラマでもおなじみでしたが、信長の長女と家康の長男の婚姻に、信長の姪(長女)が秀吉の側室、姪(三女)が家康の三男(嫡男)の正室になっており、秀吉の二男と家康の孫娘の婚姻関係が結ばれております。そんな中で殺したり殺されたり、色々大変ですね。そんな歴史的有名人の相関図です。
※この記事は歴史好きの筆者の独断と偏見に溢れたカジュアルな内容となっております。
■目次
■人物紹介
織田信長
「殺してしまおうホトトギス」で有名ですが、本当の信長さんは実は優しい人であったとも言われています。だから謀反に遭ってしまったのかな…1534年尾張国(愛知県)に生まれ、家督相続の争いに勝利し、桶狭間の戦いで今川義元を破り、勢力拡大。室町将軍足利義昭を追放し、独自の中央政権を確立し天下人になったが、部下である明智光秀の謀反に遭い、1582年に本能寺で自害。黒人侍弥助や身分の低い秀頼を取り立てるなど革新的な考えを持っていたように思える。
織田信忠
信長嫡男、実母不明、清洲会議の三法師の父、幼名:奇妙丸。赤ちゃん信忠を見た父信長に「顔が奇妙だから」という理由で命名される。嫡男として期待されていたが、本能寺の変発生後に救援に向かうも叶わず、明智軍に攻められ1582年没。
織田徳(五徳)
信長二女(長女ともされる)、母は信長最愛の側室生駒氏、松平信康と政略結婚をするが、嫁姑問題で夫婦不仲になり、父に手紙でチクって憎い姑・夫を死に追いやる。
織田信雄
信長二男、母は生駒氏、弟信孝との出生順位について説が分かれている。北畠の養子に入っていたが、本能寺の変後に織田姓に戻して家督争いに参加。秀吉側について江戸時代まで生き残る。茶道など芸術には優れていたが、武芸など武士としての才能があまりなかったようで、父にも重臣の柴田勝家にも疎まれていたよう。
織田信孝
信長三男、母は側室坂氏。神戸の養子に入っていたが、本能寺の変後に織田姓に戻して家督争いに参加。勝家に支援され、秀吉と対立し1583年没。
織田秀信(三法師)
信忠嫡男。信長亡き後、秀吉によって2歳で後継に担ぎ上げられる。その後は親戚や家臣の間をたらい回しにされ、その後は秀吉配下として細々と生きていく。文禄の役や関ヶ原の戦いにも参戦。西軍に着くが生き残る。改易され高野山で修行しようとするが、祖父信長が高野山焼き討ちをした因縁から、追放されてしまう可哀想な人生。
織田市
信長の妹はたくさんいるが、市だけが戦国一の美女として有名。三女江を通して、今上天皇の祖先にあたる。兄信長の政略で浅井長政と婚姻するが、兄の政略変更により姉川の戦いにて浅井家は滅ぼされる。市と娘の三姉妹は助け出され、信長の庇護下に入るが、信長も本能寺の変で死亡。その後秀吉の策略で柴田勝家に嫁ぐが、結局秀吉に滅ぼされる。
浅井茶々(淀)
浅井長政と市の長女、姉川の戦いにて生まれ育った城を焼け出され、本能寺の変で新たな安住の地を追われ、賤ヶ岳の戦いでまた城を焼け出された苦労人。その後秀吉の側室となり、嫡男秀頼の生母として、秀吉亡き後後見人を務めるが、徳川家康により滅ぼされる
浅井初
浅井長政と市の二女、淀の妹、京極高次に嫁ぐ。10年ほどで未亡人となる。対立する姉と妹の中継ぎ的存在。
浅井江
浅井長政と市の三女、淀・初の妹、後見人となった秀吉の都合の良い政治の駒として3度も政略結婚させられる。(佐治一成→豊臣秀勝(秀吉の甥)→徳川忠長 )最終的には将軍御台所となり勝ち組なのか。最後の天敵は春日局
豊臣秀吉
「鳴かせてみようホトトギス」で有名な歴史的大出世を果たした偉人。信長に取り立ててもらったおかげでの大出世だが、信長死後に信長三男の織田信孝を排している。キリスト教弾圧も奴隷として売られる一般日本人を守るためだったとされており、庶民から見れば良い議政者だったが、晩年はクレイジーな爺さんとなってしまい、日本側から見ても朝鮮出兵は愚策であり、秀次処刑は関ヶ原で西軍が負けた原因とも言われている。
木下なか(大政所)
息子に引っ張られる形で官職持ちになってしまった。長生きしたため息子の死など悲しい思いもした。
浅野おね(北政所/高台院)
木下藤吉郎よりも身分が高い武士階級の浅野家の養女。元々はイケメンの前田利家が好きだったが失恋したので、面白い藤吉郎と恋愛結婚した。夫がまさかの大出世を遂げるが、おね自身もその身分に見合うように努力家。人質として囲った他家の子たちを慈しんで育てた。その結果大阪の陣後に味方してくれる武将がたくさんいた(徳川秀忠もその一人)
木下とも(日秀院)
秀吉の姉、秀次、秀勝の母。息子が弟に殺されてしまった。
豊臣秀長
秀吉の弟であり、優秀な軍帥。
豊臣朝日
秀吉の妹。夫がいたのに兄の政略の犠牲になり徳川家康の継室になる
豊臣秀次
秀吉の甥、ともの息子。子供のいない秀吉の後継として関白になるが、まさかの秀頼誕生により立場を追われる。
豊臣秀勝
秀吉の甥、ともの息子、江の二番目の夫
徳川家康
「鳴くまで待とうホトトギス」で有名な最終的な勝者。天下統一で戦国時代を終わらせて平和な江戸時代を築き上げる。源氏の末裔らしいが、幼少期は人質として育つ。青年期〜晩年までは織田信長、豊臣秀吉の2番手として活躍するが、邪魔な二人がいなくなって漸く天下人になれた。まさに「死ぬまで待とう2英傑♪」
松平信康
家康の嫡男だったが、嫁姑問題によって切腹する羽目になる。
徳川秀忠
家康の三男だったが、長兄は切腹、二兄は側室の子で正室の嫉妬により認知されなかったため、嫡男として二代将軍を引き継ぐことになる。恐妻家。
徳川家光
陰キャな幼少期は母に嫌われ、陽キャな弟に引け目を感じて生きてきた。乳母の春日局の執念で祖父家康を巻き込み、なんとか三代将軍となるが、家光のゲイ疑惑で大奥が爆誕する。
徳川千姫
家康の孫、秀忠の娘、家光の姉、豊臣秀頼の正室。大阪の陣で焼け出される。自分にとっては実子ではないが、秀頼の子供たちが祖父たちに殺されないように助命懇願する心優しい姫様。
■年表
1560年 桶狭間の戦い
1568年 織田信長 入京
1577年 織田信長 安土を楽市にする
1584年 小牧長久手の戦い
1585年 豊臣秀吉 惣無事令
1590年 豊臣秀吉 天下統一
1592年 文禄の役
1597年 慶長の役
1598年 豊臣秀吉死去
1600年 関ヶ原の戦い
1603年 江戸幕府
1607年 朝鮮通信使来日
1612年 キリスト教禁止令
1614年 大阪の陣
1635年 参勤交代
1637年 島原の乱
1657年 明暦の大火
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