大奥(幕末)の相関図を作成しました。
大河ドラマやフジテレビでもやったあまり側室との戦い感がなく、時代の移り変わりで騒乱が起きたといった感じですね。
■目次
■人物紹介
篤姫(天璋院)
外様の有力藩・薩摩の藩主島津氏の分家のお姫様として生まれる。学歴ロンダリングならぬ家柄ロンダリングを経て、最終的には公家出身のお姫様として徳川家に嫁ぎ御台所(将軍正室)となる。将軍正室は公家から貰うのが通例であったが、先妻が病死したことや後継問題から「健康な嫁」が条件であったため、分家姫→本家姫→公家の娘と養子縁組を繰り返し条件を満たす。最初は大奥でも馬鹿にされたかと思うが、その才能で幕末の動乱の大奥を取り仕切り、江戸城無血開城に貢献した偉人となった。
(13)徳川家定
12代将軍・徳川家慶の四男。兄が全員早世したため、将軍となる。生まれつき脳性麻痺があったともされる。公家の嫁を二度貰うがすぐに亡くなってしまい、後妻には健康的な女性を求める。老中・阿部正弘と島津斉彬の画策で篤姫を三人目の正室とする。
(14)徳川家茂
紀州徳川家(徳川分家)の藩主。将軍家定に後継者がいなかった為、後の徳川慶喜とともに対立の後継候補にされる。最終的に有力者・井伊直弼に押し上げられ13歳の若さで将軍に就任する。幕府弱体化によって公武合体が進められ前天皇の皇女・和宮を正室に迎える。体が弱いのに無理をして長州征伐の大将として遠征した為、21歳の若さで亡くなってしまう。
和宮
徳川家茂の正室、仁孝天皇綱吉の皇女、孝明天皇の妹、明治天皇の叔母。有栖川熾仁親王と婚約していたのに、岩倉具視が推進する公武合体のために強制的に婚約破棄となった。格下の武家に嫁ぐのは不服だったが、おしどり夫婦となる。最初は名目上の姑(家茂が家定の養子になった為)の天璋院(篤姫)とぶつかるが、最後は一致団結して慶喜を救い、江戸城無血開城を果たす。倒幕後は実家に戻るも、天璋院を訪ねるほどの仲良しさんになる。
(15)徳川慶喜
水戸黄門の子孫(途中養子有り)、徳川最後の将軍。その在職期間はわずか1年だが、最後の将軍とあって有名人になった。薩摩との戦いである鳥羽伏見の戦いでは部下を見捨てて敵前逃亡しているが、戊辰戦争では活躍したらしい。また、大政奉還は偉業であったとされている。明治時代になると趣味に生きる人として楽しい余生を送った。
有栖川宮熾仁親王
和宮の元婚約者の皇族、徳川慶喜の妹が最初の妻。若い頃はかなりのイケメン(白黒写真が残っている)。その後の戊辰戦争では幕府と戦うことになる。
島津忠剛
篤姫の実父。島津分家の当主。
島津斉彬
篤姫の第一養父、薩摩藩主(外様大名なのに有力者)。若い頃は長男なのに側室が産んだ弟を後継にしようとする陰謀に巻き込まれたりと苦労した。開国を幕府に提言し、14代将軍の後継問題では一橋慶喜を推し、養女の篤姫をスパイの如くに嫁入りさせる。(篤姫は婚家に着いちゃうけど…)
近衛忠煕
公家の当主、正室は薩摩の姫であったので、一橋派であり薩摩との関係が強く、篤姫の第二養父。井伊直弼に敵視され安政の大獄で失脚、桜田門外の変で井伊が殺されたことによって、その後関白内覧として復帰することができた。
西郷隆盛
薩摩藩の下級武士として生まれるが、島津斉彬に重用されて側近となる。篤姫の嫁入り道具は西郷が調達した。斉彬死後、後を継いだ久光と衝突し奄美大島に島流しになる。大久保利通のおかげで復帰するが、また怒らせて別の島に流される。また復帰して薩摩のリーダーとして倒幕に尽力した。
孝明天皇
仁孝天皇の皇子、和宮の兄。攘夷の意思が強く、開国を迫る外国勢と板挟みになる幕府に対しても攘夷の姿勢を譲らずに、結果的に幕府崩壊を進めた天皇。
明治天皇
■年表
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