歴史学科卒のイラストレーターが歴史上の人々の相関図を作ります。

🇷🇺ロマノフ家の相関図

ロマノフ家の家系図・相関図を作成しました。

 

ロシア史って怖い絵の常連になるくらい恐ロシアですよね。田舎国家を列強国家に押し上げるも最後は革命で散ってしまったロマノフ家。家族内、引き起こされた革命でもドロドロ暗殺まみれですが、それでも魅力的で気になってしまいますね。

■目次

■人物紹介
ミハエルロマノフ
アレクセイ
マリア
ナタリア
(1)ピョートル大帝
皇女ソフィア
フョードル3世
イワン5世
エカチェリーナ(イワン5世の娘)
(4)アンナ(イワン5世の孫)
(5)イワン6世
エウドキア
アレクセイ(ピョートル大帝の息子)
(3)ピョートル2世
(2)エカチェリーナ1世
アンナ(ピョートル大帝の娘)
(6)女帝エリザヴェータ
(7)ピョートル3世
(8)エカチェリーナ2世
(9)パーヴェル1世
(10)アレクサンドル1世
(11)ニコライ1世
(12)アレクサンドル2世
(13)アレクサンドル3世
マリア(アレクサンドル3世妃)

(14)ニコライ2世

アレクサンドラ(ニコライ2世妃)
アレクセイ(ニコライ2世息子)
オリガ
タチアナ
マリア
アナスタシア

 

 

■人物紹介

ミハイル・ロマノフ

ロマノフ朝初代皇帝

アレクセイ(ミハエル・ロマノフの息子)

ロマノフ朝の支配体制を安定化させた

マリア(アレクセイの妻)

アレクセイの妃だが早くに亡くなる。ソフィア、ヒョードル、イワンの母

ナタリア(アレクセイの妻)

アレクセイの後妻。ピョートル大帝の実母で幼少期の摂政。ソフィア派とピョートル派の皇位争いで捕まったり、割と大変な目に遭う

(1)ピョートル大帝

ロマノフ朝第1代ロシア皇帝(それまでは”ツァーリ”)ロマノフ朝の繁栄を確立し、田舎の弱小国というイメージがあったロシアを大国へとのし上げた。また最大の敵である姉ソフィアとは捕まったり、仲直りしたり、捕まえたりの熾烈な皇位争いを繰り広げた。素敵なサンクトペテロブルクは偉大なピョートルの街という意味。

 

皇女ソフィア

前妻の皇女で異母弟ピョートル大帝と熾烈な皇権争いを繰り広げた。(何度も暗殺しようとした)当時女帝にはなれなかったので、実母弟たちの摂政をつとめた。最終的には大帝に敗北し、政敵に敗北を描かれた、あの有名な怖い絵で後世で有名になった。弟に敗北後、命は取られずに修道女となりその一生を終えた。後々、女帝エカチェリーナ2世に「ソフィアには正当な評価が与えられていない。誰もが羨むような英知を持って、長年に渡り我が帝国の国政を担ってきたというのに」と評された

フョードル3世

ソフィアの弟。14歳で即位したが、病弱であったので、実際には国政を行っていなかった。行政や軍政の近代化、地政の廃止が行われた。

イワン5世

ソフィアの弟。兄フョードル3世の崩御後、父の後妻の弟ピョートルが即位したが、姉ソフィアの奔走により並立ツァーリになった。政務は全て摂政のソフィアにお任せ状態だった。ソフィア失脚後はそのまま一応帝位はついていたが、名目的な君主に過ぎなかった。

エカチェリーナ(イワン5世の娘)

イワン5世の娘、女帝アンナの姉

(4)女帝アンナ(イワン5世の孫)

イワン5世の孫(ピョートル大帝にとっては姪)女子であったため教育を受けていなかったのに、家臣たちの派閥争いの結果で第4代ロシア皇帝にされてしまう。そのため自力で政治を行うことは不可能で、信用していたドイツ語圏出身の寵臣に政治を任せたため、ドイツ人が牛耳る政府と嫌われた。

(5)イワン6世

イワン5世の曾孫、女帝アンナの姉の孫で生後2ヶ月で第5代ロシア皇帝に指名される。ピョートルの娘のエリザベータのクーデターにより、あっけなく廃位され、最終的には看守に刺殺される。

エウドキア

ピョートル大帝の前妻。不幸な結婚後すぐに愛妾に心をうつされてしまい、修道院送りになる。息子と共にピョートル大帝に反対する派閥に参加し、その指導者から我らの偉大なる統治者と称された。その派閥がピョートル1世により粛清され、全員処刑となった。エウドキア自身はまた牢獄送りとなったが、孫のピョートル2世の即位により、高待遇の修道院で自分の宮廷を持つことが許された。

アレクセイ(ピョートル大帝の息子)

ピョートル大帝とエウドキアの子。父ピョートル1世の改革に反対する派閥の中心的存在となるも、拷問の上死に追いやられた。

(3)ピョートル2世

ピョートル大帝の孫、祖父の後妻であるエカチェリーナ1世が先にロシア皇帝となったが、祖母死後にその娘を差し置いて帝位につく。自身は出生後間も無く母を失い、幼い時に父も祖父との対立によって亡くしてしまう。

(2)エカチェリーナ1世

ピョートル大帝の後妻、ロマノフ家の血筋ではないが、夫の死後に女帝になる。夫の前妻と血生臭い戦いを繰り広げ勝利する。

アンナ(ピョートル大帝の娘)

説明文ピョートル大帝の娘でエリザベータ女帝の同母姉であるが、自身は即位せずに息子のピョートル3世が叔母の後継になる。

(6)女帝エリザヴェータ

誕生時点では父母の正式な結婚が成立していなかっったので、非嫡出子扱いであった為、父の前妻との孫、ピョートル2世が母の後継となる。徳川家康のように皇位継承争いの好機が来るまで大人しく待っていた。幼帝からクーデターで実権を奪って即位後は本領発揮!オーストリアのマリアテレジア、フランスのポンパドゥール夫人と協定「三枚のペチコート作戦」でプロイセンのフリードリヒ2世を追い詰めたが、エリザヴェータの病死によりこの作戦は中断、フリードリヒ2世は命拾いをした

(7)ピョートル3世

女帝エリザヴェータには子供がいなかったので、ドイツで暮らしていた甥のピョートルが後継者に指名された。ドイツ育ちのためドイツ贔屓であり、女帝の宿敵フリードリヒ2世を崇拝していた。女帝がギリギリまで追い詰めたプロイセンも自身が帝位についた途端にロシア優勢の状況から即時講和をし、ロシア兵が苦労して勝ち取った領土もプロイセンに変換し、国民からも反感を買う。不仲で実力者の妻にクーデターを起こされる。

エカチェリーナ2世

自分より美人が嫌いな女帝エリザヴェータに気に入られ、ドイツから嫁いできた地味な皇太子妃…であったが、その後実権を掌握しクーデターを起こして女帝になる。ロシアの血は一滴も流れていないが、努力で語学もマスターし誰よりもロシア人らしいロシア人になった。偉人の名に相応しい男前な政治力も有名だが、晩年に至るまでたくさんの愛人を有した男前っぷり。

パーヴェル1世

ピョートル3世とエカチェリーナ2世の子ということになっているが、両親が不仲すぎるので、父親は別なのではと噂されている。父を殺した母を恨み、今後女が皇位につくことを禁止するように法律を変えた。それ以降ロシアに女帝は君臨しない。最終的に貴族層に反感を受けて暗殺された。

アレクサンドル1世

祖母エカチェリーナ2世に育てられた為、自由主義的発想を持っていた。祖母と父との間を立ち回ることによって要領の良さを身につけた。父帝暗殺後に帝位を継承した。ナポレオン戦争で活躍、病気で急死してしまった。

ニコライ1世

父パーヴェルの影響を受けていた三男は専制的な性格であった。兄の急死によって即位したが、自由主義将校からデカブリストの乱を起こされる。クーデターは未遂に終わり専制政治を貫く。インフルエンザにより崩御

アレクサンドル2世

自由主義的な考えから農奴解放など改革も行なったが、サンクトペテルブルク市内でテロリストによって手投げ爆弾によって暗殺される

アレクサンドル3世

父の暗殺後に即位、父の国民に寄り添った優しい政治ではなく、祖父の行ったような専制政治こそ安定した帝国を築けると信じ、強い帝国を目指した。何度も暗殺の危機には遭うもそれらは乗り越えるも49歳で病死

マリア(アレクサンドル3世妃)

デンマーク王家出身、元々アレクサンドル3世の兄の婚約者であったが、病死した為弟の皇后となった。美人であったので国民からも大人気になった。息子の嫁との嫁姑問題は悪かった。ロシア革命で自身は姉のイギリス王太后の手配で亡命が叶った。

ニコライ2世

家族を愛するロシア皇帝。国民への愛は皆無なのが見え見えだったので、嫌われてしまい革命を起こされ、大好きな家族ごと殺害されてしまう。昔日本に来たこともあるが、警察官により暗殺未遂に遭い大怪我を負ったり散々な人生。アレクサンドラ皇后とは周囲の反対を押し切り恋愛結婚を果たすが、それが悲劇の元凶とも言われている。

アレクサンドラ(ニコライ2世妃)

英国ヴィクトリア女王の孫でヘッセン公女。大恋愛の末にロシア皇后になった。ヴィクトリア女王の子孫は血友病が遺伝病となり、待望の皇太子の末っ子アレクセイも血友病になってしまった。社交的でない性格や、息子への心配などから藁にも縋る思いでラスプーチンにハマっていき、国民から嫌われる。

アレクセイ(ニコライ2世の息子)

ニコライ2世・アレクサンドラ皇后の間の末っ子にして待望の皇太子。

オリガ

ニコライ2世・アレクサンドラ皇后の第一子で長女。ルーマニア王太子との縁談話もあったが、家族と離れるのが嫌で断ってしまった。もしも嫁いでいれば、ロシア革命に巻き込まれなかったかもしれない。

タチアナ

ニコライ2世・アレクサンドラ皇后の第二子で次女。セルビア王子から結婚を望まれ文通をしていた。第一次世界大戦下ではその看護技術を発揮、幽閉後も家族のために看護をしていた。

マリア

ニコライ2世・アレクサンドラ皇后の第三子で三女。幼い頃から兵士との結婚を夢見ていた。美人姉妹の中でも美人で、従兄弟の英国マウントバッテン卿にも好意をもたれていた。

アナスタシア

ニコライ2世・アレクサンドラ皇后の第四子で四女。お転婆娘で幽閉後も何人かの警備兵と仲良くなったりした。20世紀には数多くの女性が自身はアナスタシアの生き残りだと主張するアナスタシア生存説が伝説化した。

ラスプーチン

農民出身の宗教家で不思議な力があると巷で有名になり宮廷に呼ばれた。アレクセイ皇太子の治療でも不思議な力を発揮し、皇帝夫妻を魅了する。皇帝夫妻はラスプーチンの言いなりにし、周囲から危険分子とされ暗殺された。

ソヴィエト

ロシア帝国下では革命組織であったが、ニコライ2世家族皆殺しを含むロシア革命を成功し、世界初の共産主義国家・ソヴィエト連邦となる。ニコライ2世家族の皆殺しの事実に継いては否定していた。

 

 

■年表

1613年 ミハイル・ロマノフ即位

1645年 アレクセイ即位

1682年 ピョートル1世即位するが、兄イワン5世との共同統治+摂政ソフィアの状態

1689年 ソフィア失脚

1696年 イワン5世崩御により、(1)ピョートル1世の単独政治開始

1698年 ソフィア幽閉

1703年 サンクトペテルブルク都市建設開始

1718年 ピョートル1世と前妻の子のアレクセイに反乱の罪で死刑判決

1725年 ピョートル1世崩御、後妻の(2)エカチェリーナ1世即位

1727年 エカチェリーナ1世崩御、(3)ピョートル2世即位

1730年 ピョートル2世崩御、(4)女帝アンナ即位

1740年 女帝アンナ崩御、(5)イワン6世即位※生後2ヶ月

1741年 (6)女帝エリザヴェータ、クーデターにより即位

1756年 七年戦争 ※3枚のペチコート作戦

1762年 エリザヴェータ急死、(7)ピョートル2世即位、

     半年後(8)エカチェリーナ2世、クーデター

1789年 フランス革命

1796年 エカチェリーナ2世崩御、(9)パーヴェル1世即位

1801年 パーヴェル1世暗殺、(10)アレクサンドル1世即位

1805年 アウステルリッツの戦いでナポレオンに負ける

1812年 ナポレオンのロシア遠征(冬将軍でロシアの勝ち)

1814年 ウィーン会議(ナポレオン追放後の話し合い)

1815年 ナポレオン、エルバ島脱出するもワールテローの戦いに敗れ再び流刑

1825年 アレクサンドル1世崩御、(11)ニコライ1世即位

1853年 クリミア戦争

1855年 ニコライ1世崩御、(12)アレクサンドル2世即位

1861年 農奴解放令

1863年 エルミタージュ美術館を市民に開放

1881年 アレクサンドル2世市民テロにより暗殺、(13)アレクサンドル3世即位

1891年 ニコライ皇太子、来日するも大津事件で暗殺未遂

1894年 アレクサンドル3世崩御、(14)ニコライ2世即位

1904年 日露戦争

1905年 血の日曜日事件

1916年 ラスプーチン暗殺

1917年 二月革命ニコライ2世は退位し、ロマノフ朝の終了)

1918年 ニコライ2世家族の処刑

 

■参考資料

中野京子著・ロマノフ家12の物語 名画で読み解く(光文社新書


 

 

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